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義家献馬
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献馬

義家献馬

八幡太郎
義家

この地方は平将門の乱を経て源氏の支配するところとなります。源義家(八幡太郎)が後三年の役に、鎮守府将軍として奥州追討に赴いた際には、この地が馬の産地であり、また弓矢の生産地故に、義家はこの地に来たって人・馬を集め、武具を調え、諏訪神社に武運を祈って征途につきました。
 彼の地に至るや、義家は武勇と徳とをもって賊を平定。帰洛の途、勿来の関へかかりますと、折柄美しく咲き乱れている桜の花が、吹く風に道いっぱいに散り敷く様を見て、義家は馬上豊かに

「吹く風を勿来の関と思へども道もせに散る山桜かな」(千載和歌集)

と詠じました。文武に秀でた姿が目に浮かびます。
   再び此の地に至って、諏訪神社に詣で、乗馬及び馬具を献じて報賽の誠を捧げ、従ってきた人々には労をねぎらったと伝えられます。鞍掛の地名は、そのとき、鞍をかけた松があったのでその名があり、松は、明治初期に台風で惜しくも枯損してしまいましたが、それまで当時を偲んでありました。
今では境内に、北村西望先生の作で「義家献馬」の像があり、往時の故事を偲ばせてくれます。

献馬白川の関に至ると、春たけなわ、山桜花は道もせに散っていました。義家は馬上豊かに

「吹く風を勿来の関と思へども道もせに散る山桜かな」(千載和歌集)

と詠じました。文武に秀でた姿が目に浮かびます。

彼の地に至るや、義家は武勇と徳とをもって賊を平定。帰洛の途を再び此の地に来って、諏訪神社に詣で、乗馬及び馬具を献じて報實の誠を捧げ、従ってきた人々には労をねぎらったと伝えられます。鞍掛の地名は、そのとき、鞍を掛けた松があったのでその名があり、松は、明治初年に台風で惜しくも枯損してしまいましたが、それまで当時を偲んでありました。

今では境内に、北村西望先生の作で「義家献馬」の像があり、往時の故事を偲ばせてくれます。
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