Contents

諏訪神社兼務社
ホーム諏訪神社
兼務社

諏訪神社兼務社

1 熊野神社

熊野神社


鎮座地 流山市十太夫123番地
交通 東武野田線・初石駅より東1キロ、つくばエクスプレス及び東武野田線・流山おおたかの森駅より北東1キロ
御祭神 熊野大神
例祭日 10月15日
由緒沿革 江戸中期の創建。十太夫全域と初石、駒木台の各一部の産土神である。小金牧のうち上野牧に、慶安二年(1649)十太夫新田が開発され、成立したことが『八木村誌』に見えるが、享保年間(1716~35)には村高のことが誌されているなど、当社はすでに当時創立されていたと思われる。熊野神社は紀伊にある本宮(熊野坐神社)、新宮(熊野速玉神社)、那智(熊野那智神社)の併称で、中世以降、三山綜合共通の信仰で成立、当神社は集落の形成に際し、勧請鎮祭されたと思考される。

2 稲荷神社
稲荷神社


鎮座地 流山市西初石五丁目三六番地
交通 東武野田線初石駅より南1キロ、つくばエクスプレス及び東武野田線・流山おおたかの森駅より北西1キロ
御祭神 宇迦之御魂神(倉稲魂命)
例祭日 2月11日
由緒沿革 江戸時代中期の創建。旧大畔新田の産土神。享保15年(1730)、同市大畔の新開地として開発され、その鎮守として創建された。明和二年(1765)の庚申塔がある。昭和42年の改築に際しては、境内林の杉木を社叢改善の際に伐採し、これを用材とした。なお明治22年から大畔新田、昭和46年から西初石5丁目となる。
3 八幡神社
八幡神社

鎮座地 流山市駒木台224番地
交通 東武野田線・初石駅より北東1.5キロ
御祭神 誉田別尊
例祭日 10月15日
由緒沿革 はじめ、慶安二年(1649)に、駒木村の村請新田として墾かれ、ここに諏訪神社を祀った。その後に八幡神社を創建。これは享保15年(1730)である。そして明治17年(1884)、現在地に社殿を新築して遷座した。当駒木台の地は、明治のはじめ頃から醤油・油等の製造が盛んで社頭も大いに栄えた。
4 香取神社
香取神社

鎮座地 流山市青田64番地1
交通 東武野田線・江戸川台駅より東1.3キロ
御祭神 経津主神
例祭日 10月15日
由緒沿革 慶安2年〈1649〉、大青田村の新田開発によって集落が形成され、東国開発の守護神が祭られた。これは境内に元禄年間(1688~1703)の石碑があるので、これによってもこのころ、すでに神社は鎮座していたと思われる。旧青田新田の産土神。なお室町期に、すでに地名が見えている。
5 天形星(てんぎょうせい)神社
天形星(てんぎょうせい)神社

鎮座地 流山市長崎2−157番地
交通 東武野田線・豊四季駅より西0.7キロ。つくばエクスプレス及び東武野田線・流山おおたかの森駅より南1キロ
御祭神 素盞嗚命
例祭日 10月15日
由緒沿革 寛文2年(1662)創建と古記にあるが、当地域開発の歴史より見るに、創建はさらに遡ると推測される。室町期にはすでに地名が見えている。御祭神は天照皇大御神の弟神、出雲民族の始祖で、出雲で八岐大蛇を退治して、奇稲田姫と結婚、大蛇退治の際、その尾から出た天叢雲剣を天照皇大御神に献上された。また和歌の始祖とも称えられている。
5-2 境内社 石見神社
石見神社

境内社の石見神社は、総代根本隆氏の調べによると、御祭神岩本石見守正倫命は、甲斐の国岩下村(現韮崎市)岩本家の出にして、徳川幕府に仕え、知行二千石の岩本正利を父とし、長姉お富の方は、一橋中納言治済卿に仕えて、第十一代将軍家斉の母である。家斉は将軍職を五十年つとめ、正倫は将軍の信任篤く、重職を経て寛政五年(1793・37歳)に、小金、峯岡、佐倉三牧の取締支配に任ぜられた。以後も多くの要職に栄進した。三牧の支配役の際には各地で善政を施し、よって各所に報徳碑がある。長崎には文化9年(1812)岩本大明神の碑とともに、野々下字内宿七四二番地の社地二五三坪に社殿を設けて徳をたたえた。昭和63年、この地を譲渡して天形星神社社殿を改築、また現在地に石見神社を新築遷座した。
6 天神社
天神社

鎮座地 流山市市野谷314番地
交通 東武野田線・豊四季駅より西2キロ、つくばエクスプレス・流山セントラルパーク駅より北0.5キロ
御祭神 菅原道真公
例祭日 10月15日
由緒沿革 御祭神は学問の道に秀で、和魂漢才を唱道、遣唐使の中止を進言、宇多天皇の信任篤かった菅原道真公。社伝に寛文10年(1670)6月6日創立と記されている。しかし古老の伝えよりしても、江戸時代より以前の創建ではないかと考えられる。正月25日には、お備射行事がある。祭典齋行ののち、向拝前に張った縄に吊した鬼の面を描いた的に氏子が矢を射て作物の吉凶を占う。その後、神前に供えた繭玉餅を戴いて、直会にうつる。
7 天神社
天神社

鎮座地 流山市後平井159番地の1(運B109街区5)
交通 くばエクスプレス・流山セントラルパーク駅より北0.3キロ
御祭神 菅原道真公
例祭日 10月15日
由緒沿革 天正10年(1582)9月創建との古記録がある。なお近年、流山セントラルパーク駅の開業によって、近くへの遷座を余儀なくされている。境内の巨杉の伐採が惜しまれるが、その際の建築用材にあてることも考慮中である。御祭神は文章道の家系に出で、広く経史に通じた菅原道真公。5歳にして和歌を詠じ、十一歳にして詩を賦した。類聚国史200巻を撰し、宇多天皇の信任を得、右大臣に進む。しかし反対派に忌まれ、太宰権帥に貶され、延喜3年(903)2月25日薨ぜられた。
8 大宮神社
大宮神社

鎮座地 流山市平和台五丁目四四番地
交通 つくばエクスプレス・流山セントラルパーク駅より西0.8キロ、総武流山電鉄・流山駅より東南0.7キロ
御祭神 天宇受女命、大国主命、玉依姫命、少彦名命、豊受姫命
例祭日 10月9日
由緒沿革 建長年間(1249~1256)の記録もあるが、この地方の開発は古く奈良朝の頃であり、「延喜式」所載の神社にも擬せられるので、千有余年前の創建であると推定される。例祭日前夜の新嘗祭行事は、日本に千年前から伝えられる古い伝統行事であるので、永く伝えていきたい。平和団地造成の際、神社移転が論ぜられたが、識者によって、現況を維持しえた。
9 大杉神社
大杉神社

鎮座地 流山市加6丁目1272番地
交通 総武流山電鉄線 流山駅より北0.5キロ、つくばエクスプレス・流山セントラルパーク駅より北西1.3キロ
御祭神 大物主命、櫛甕玉命
例祭日 6月27日
由緒沿革 江戸時代、流山の隆盛期に創建された。江戸時代の当地は江戸川の舟運によって、この地方第一の隆盛を極めた。船問屋をはじめ、旅館、各商店等、舟運でにぎわったが、利根川沿いの布施河岸とは陸路で連絡され、道は諏訪神社を経由したので「諏訪道」と称し、また、生魚を多く運んだので「なま道」ともいった。最近は神幸祭も盛んである。
10 熊野神社
熊野神社

鎮座地 流山市思井305番地
交通 つくばエクスプレス 流山セントラルパーク駅より南0.7キロ、総武流山電鉄線 鰭ヶ崎駅より西1キロ
御祭神 櫛御気野命(熊野大神)
例祭日 10月9日
由緒沿革 紀伊の熊野三所権現は、熊野夫須美大神、御子速玉大神、御都御子大神の三神。後白河法皇の頃より、蟻の熊野詣と称される賑盛を極めた。当地の集落形成とともに、勘請されたと思われ、天和元年(1681)11月、社殿再建と棟札に記されているが、創立年代は不詳である。しかし、当地の集落形成は室町以前であることから、神社の創建はさらに遡ると推定される。元八木村の地名発祥ともいわれる、幹が八本に分かれた大きな「スダジイ」の木がある。
11 香取神社
香取神社

鎮座地 流山市前ヶ崎620番地
交通 常磐線 南柏駅より南西1.5キロ
御祭神 経津主神
例祭日 10月20日
由緒沿革 旧社殿の棟札に明和3年(1786)とあり、江戸時代にはすでに立派な社殿があった。当地は、地形的に丘陵地で、防衛にも優れ、付近に室町の頃の高城氏の城跡もあり、神社の創立もその頃と推測される。
12 香取神社
香取神社

鎮座地 流山市名都借1196番地
交通 常磐線 南柏駅より西1.5キロ
御祭神 経津主神
例祭日 10月20日
由緒沿革 当地は奈良時代にはすでに開発されており、平安初期の創建と伝える。なお、境内地は相当に広かったが、戦後に縮小された。「千葉県知事保管台帳」に明治42年4月20日、雷神社合祀と記されているが、これは雷神社が境内社への移転遷座されたというのが正しい。雷神社の跡地は学校の敷地となったが、巨大な椎の木は、その面影を今に伝えている。名都借の地名は諏訪神社が駒木に創建前に一時期、仮に都と名づけて人々が住んだことによるとも伝える。
13 香取神社


鎮座地 流山市向小金2丁目199番地1
交通 常磐線 南柏駅より南西1.5キロ
御祭神 経津主神
例祭日 10月20日
由緒沿革 現社殿改築の際、後方の神社地に建設、旧社地に現在の社務所を設けた。旧社殿の棟札に、元禄の記載があるので、当時すでに鎮座のことがうかがわれる。なお当地は、小金の新田として開発された。

「一里塚」 

江戸時代に水戸街道 江戸から水戸へ一里(約4キロ)ごとに土を高く盛って塚となし、道程の目標としたもの。塚の大きさは約4メートル四方、高さ三メートルほどあり、頂上に榎が植えられていたので榎塚とも称した。神社には、その跡地にいわれの碑が建っている。
14 三輪茂侶神社
三輪茂侶神社

鎮座地 流山市三輪野山5-619番地
交通 つくばエクスプレス及び東武野田線 流山おおたかの森駅より西1.3キロ、流山電鉄線 流山駅より北1キロ
御祭神 大物主神(大国主大神)
例祭日 10月15日
由緒沿革 延喜式神名帳に下総国「十一座・大一座・小十座」のうち、葛飾に二座(並小)とあり、茂呂神社、意富比神社と記載されている。三代実録、下総旧事考等にも茂呂神社と記載されている延喜式内の古社である(これには種々の考証があるが、消去法によって考証すれば当社になる)。なお、近年、神社鳥居前南への直進路1キロほどのところに大規模な祭祀跡が発掘され、須恵の祭器具や魚形埴輪が出土した。本神社の拝所との考察もされている。なお、当地には景行天皇の時代に東国に派遣された御諸別王の子孫である毛野氏の一族が住んでおり,大和の三輪山には似ているこの丘陵地に大物主命を祀ったのが創祀とされている。また、古来、特殊神事として1月8日に、八升の酒、八升の餅、八種類の野菜の熟饌等を神前に供えて、祭典齋行後オトウ渡し(年番の引継ぎ)および直会の後、若衆が供餅を奪い合う「餅取り式」があり、これを神賀楽餅行事と称する。昭和52年12月22日、流山市の無形民俗文化財に指定された。
15 雷神社
雷神社

鎮座地 流山市鰭ヶ崎1767番地
交通 つくばエクスプレス 南流山駅より東1キロ、総武流山電鉄線 鰭ヶ崎駅より0.2キロ
御祭神 大雷神(別雷大神)
例祭日 10月15日
由緒沿革 当地は室町期に地名が見え、その頃の創建と推測される。古来、特殊神事として正月20日には、お備社行事がおこなわれる。祭典終了後、年番の引継ぎをおこなった後、拝殿の階段から、予め境内正面に立てた赤鬼と青鬼の面が描かれた的にむかって、宮司をはじめ七福神に扮した当番や総代役員が矢を射る。その後、獅子舞や田吾作踊りが社務所でおこなわれる。成立は、享保年間(1716~36)と伝えられ、昭和52年12月22日、流山市の無形民俗文化財に指定された。『神道大事典』によれば、御祭神は雷神、雷電現象の神格化。『日本書紀』神武天皇の巻には、「雷神」と書いてイカヅチノカミとあり、鴨別雷神、火雷神等、いずれも雷神とある。農作物の神として崇敬される。
16 香取神社
香取神社

鎮座地 柏市正蓮寺300番地
交通 つくばエクスプレス 柏の葉キャンパス駅から北へ0.7キロ
御祭神 経津主大神
例祭日 10月15日
由緒沿革 永正11年(1514)9月2日創建。地名辞典に元禄15年 12戸 54名、嘉永3年 11戸 53名、明治24年 戸数13戸 98名、厩6などとある。昭和40年頃、見事な社叢の巨松は松食い虫で枯損した。近くの「こんぶくろ池」は一茶の句「親馬が番して呑ます仔馬かな」のごとく、馬の水呑場であった。いまも清らかな水は湧いている。社頭に嘗て若者等が祈願や力競べした「力石」がある。御祭神は東国鎮護の神。
17 姫宮神社
姫宮神社

鎮座地 柏市小青田433番地
交通 つくばエクスプレス 柏たなか駅から北へ0.7キロ
御祭神 姫宮大神
例祭日 1月19日
由緒沿革 未詳であるが、室町時代(1392〜1573)の後期には集落があったので、その頃の創建と推測される。東に利根川の清流、その彼方には二嶺筑波の紫峰を望む景勝の境内地は、社叢森厳である。なお、この地は元和2年、旗本本多氏、同16年沼田藩、享保15年田中藩、そして維新に至る。日本地名辞典に、元禄15年郷帖に氏子21戸 人口151人、文久2年同28戸とある。
18 皇大神社
皇大神社

鎮座地 柏市十余21番地1
交通 つくばエクスプレス 柏の葉キャンパス駅より西へ0.7キロ
御祭神 天照皇大御神
例祭日 10月15日
由緒沿革 この地は明治新政府の授産事業として、下総牧場が各地からの移住者によって、初富、二和、三咲、豊四季と順次開墾され、十二番目の故に十余二と名が付けられた。神社は明治15年5月1日、伊勢の神宮より御神璽を拝戴、創建祝賀大祭がおこなわれた。字名も伊勢原と称し、集落の紐帯として、朝に祈り、夕に感謝の誠を捧げて今日に至った。
19 地主神社
地主神社

鎮座地 柏市篠篭田650番地
交通 常磐線 柏駅より西北1.5キロ、東武野田線 豊四季駅より東へ2キロ
御祭神 大国主大神
例祭日 10月19日
由緒沿革 篠篭田の地名は、平安初期には、志子田と見え、「鏑矢伊勢方記」に、「下総国相馬郡布施郷」を伊勢皇大神宮に寄進しているが、その四至南限に「志子田谷」とあり、室町期から色陀、近世は篠篭田と記されている。元禄15年の検地に家六九、人数322とある。日本民族は、集落が形成されると、必ずその紐帯として神社を創建したので、一千有余年の歴史を有する古社である。
20 熊野神社
地主神社

鎮座地 柏市高田626番地
交通 つくばエクスプレス 柏の葉キャンパス駅より東へ1.3キロ、常磐線・柏駅より北へ1.3キロ
御祭神 熊野大神
例祭日 10月19日
境内社 大杉神社
由緒沿革 1000年前、すでに集落が形成されたと考察され、神社の創建は不詳であるが、蟻の熊野詣でといわれた平安初期の頃か、相応の歴史を有するものと思われる。江戸期には、布施の渡しから流山への「諏訪みち」で、駄送するウナギの水切り場などもあって神社前の往来は賑わった。大正の頃までは氏子たちが家順に毎日夕方ともなれば、神社境内に灯火を献げた。里人は鎮守様の灯火を見て、農作業を終えたと伝える。
20-2 境外社 小松翁稲荷神社

小松翁稲荷神社


鎮座地 柏市高田1015番地
交通 つくばエクスプレス 柏の葉キャンパス駅より南へ1キロ
御祭神 宇迦之御魂神
例祭日 2月初午日
由緒沿革 御祭神の名称は前記の他に倉稲魂神、または保食神また豊受姫神、豊受大神とよばれる稲荷大神である。稲荷神社特有の御神徳の話も多い。当神社は古くは近くの字翁原(小松原)に鎮座していたが、明治5年に氏子54名にて現在地の四畝歩を購入、遷座した。昭和9年隣接地2畝歩を氏子の山崎氏が寄進、いらい境内地を整え、2月初午には各地よりの参拝者も多い。
21 香取神社
香取神社

鎮座地 柏市旭町2丁目7番23号
交通 常磐線柏駅から西へ500メートル
御祭神 経津主大神
例祭日 10月20日
由緒沿革 明治新政府により開発された旭町、小柳町、末広町、通1丁目、3区2丁目、栄町の総鎮守として明治22年に現東葛飾高等学校の敷地に創建され、大正14年、同校の前身・東葛飾中学校の創立に伴って、旭町二丁目一八番に遷座され、昭和27年、国道の拡幅に伴って、現境内地を浅野四平氏より譲り受けて社殿を移築遷座した。境内地の大鳥神社は、昭和39年、堺市鳳町の大鳥大社より御分祀創建された。御祭神は景行天皇の勅命によって房総の地に東征、三重県能褒野にて薨去後、白鳥となって鳳の地に至ると伝える。11月酉の日は参拝者が多い。
22 稲荷神社
稲荷神社

鎮座地 柏市今谷上町63番地
交通 常磐線 南柏駅より東へ500メートル
御祭神 稲荷大神
例祭日 10月15日
境内社 八坂神社、御祭神・素盞嗚尊、(境内地八六坪昭和59年4月改築)
由緒沿革 この地は将軍吉宗の新田開発の奨励によって、享保8・9年頃、今谷新田として開墾され、天保郷帳に村高37石余とある。明治22年土村の大字となり、昭和25年現在の町名、29年に柏市と合併した。神社は吉宗が小金原で大規模な鹿狩りをおこなった享保11年(1726)に創建された。八坂神社は稲荷神社と同時代に創建され、明治より知事保管台帳所載の神社であったが、宗教法人法によって合併した。
23 神明神社
神明神社

鎮座地 柏市富里2丁目813番地8
交通 常磐線 柏駅より南2.2キロ、南柏駅より北2キロ
御祭神 天照皇大御神
例祭日 10月15日
由緒沿革 鎮座地である富里町は、昭和42年に改名された町名で、かつては柏市豊四季の一部であった。豊四季は明治政府の殖産事業として、幕府の牧場であった小金牧の一部上野牧を、明治初年に政府が東京府に命じて、初富、二和、三咲、豊四季、五香、六実、七栄、八街、九美上、十倉、十余一、十余二、十余三と次々に開墾させた4番目の地ゆえに豊四季という。各地からかつての武士をはじめ次、三男や世の変革によって職を失った多くの人々が移り住んで集落を形成した。やがて人々の心のよりどころとして天照大御神を奉斎して神明神社を奉建、崇敬の誠を献げてきたが、現在は、柏市の富里一,二,三丁目、泉町、中央、若葉町、豊町東・同西、新富町、南柏、吉野沢、豊中町などの共同の鎮守として篤い尊崇を集めている。
24 稲荷神社
稲荷神社

鎮座地 柏市新富町1−2−35
交通 東武野田線 豊四季駅より南へ1キロ
御祭神 稲荷大神
例祭日 10月15日
由緒沿革 この地は、明治新政府がこの一帯を開墾させ、達成の暁にはその土地を入植者に譲与するとしたが、すべては必ずしも計画通りに実施されなかった中で、境内の岩倉卿報恩碑に見る如く、卿の施策によって早く自作農が達成された。住民は精農努力して家運は繁栄、神社を奉建して朝に夕べに感謝の誠を献げて今日に至った。近くには、徳川の放牧時代、野馬を捕らえたところがあったので、地名を捕込と称したことがあった。
25 八幡神社
八幡神社

鎮座地 柏市豊四季643-5
交通 常磐線 南柏駅より東0.5キロ
御祭神 誉田別尊
由緒沿革 明治新政府になって下総牧場を入植者が開墾したとき、ここ豊四季に最初に入植した九戸が、相議って鎌倉の鶴岡八幡宮より御分祀、創建されたと古老の伝として伝えられている。明治の中頃のことである。
26 雷神社・稲荷神社 合祭社
雷神社・稲荷神社 合祭社

鎮座地 柏市豊四季544番地
交通 常磐線 南柏駅より東0.5キロ
御祭神 大雷神、倉稲魂命
由緒沿革 明治新政府の政策によって入植開墾され、豊作を祈り、慈雨を祈る住民の篤い心により、自然発生的に明治初年、別雷大神と稲荷大神が祀られた。ご社殿は明治29年に造営、鎮座された。いらい、その篤い信仰は代々受け継ぎ、伝えられて今日に至っている。
27 豊四季一本松稲荷神社
豊四季一本松稲荷神社

鎮座地 柏市豊四季269-2番地
交通 東武野田線 豊四季駅より東へ500メートル
御祭神 稲荷大神
例祭日 10月15日
由緒沿革 豊四季は、明治新政府により牧場が開墾されたが、牧場といっても草原だけではなく、各地に林も自生樹もあった。直ぐ近くのお諏訪さまの社叢は茂り、この地の一本松は、幾百年の風雪をしのいだ見事な樹形で、道行く人の目標であり、にわか雨にも暑さにも耕作の人もまず頼る拠り所であった。集落が形成され、里の鎮守様の境内地は、ここをおいて他にないと一本松稲荷神社は創建された。子々孫々、相承け相携えて、神徳の昂揚と社殿の護持に努めて今日に至った。
28 厳島神社
厳島神社

鎮座地 柏市十余二字下大塚404-71番地
交通 つくばエクスプレス柏の葉キャンパス駅より西1キロ
御祭神 市杵島比売命
例祭日 10月15日
由緒沿革 御祭神は古事記に「中津宮ニ坐ス」とあり、神仏習合の際に水の女神というところから弁財天に当てた。この地はかつて高田原と称して徳川幕府の牧場であったが、明治新政府の授産奨励事業として、各地よりの開拓者によって開墾され、やがて集落の形成とともに、共同生活の拠り所として、池を囲んで樹木の茂った聖地(旧飛行場南端)に社殿を営み、厳島神社を祀った。昭和12年、陸軍の飛行場設置に伴って現在の公民館のところに遷座、さらに現在地に再び遷座した。高田原区の鎮守である。
29 永寿稲荷神社
永寿稲荷神社

鎮座地 柏市豊四季字向神山71-105
交通 豊四季駅より西へ600メートル つくばエクスプレス流山おおたかの森より南へ500メートル
御祭神 稲荷大神
例祭日 10月15日
由緒沿革 このまちは、明治新政府が下総牧場を、東京府下をはじめ各地からの、入植者が開墾した際に、その順に従って四番目故に豊四季村と名付け、大正3年千代田村、同15年柏町、昭和29年9月東葛飾市、同年11月柏市、豊四季は大字、富士見町は富士山が美しく良く見えるので名付けられた。神社は、明治17年8月創建の碑があり、御祭神は、宇迦之御魂神(稲倉魂神)宇迦は食の意で、一切の食物を司り給い、特にその根元である稲穀の生産を守護せられ、普く家運の平安と隆昌の神徳を称え奉る。
神社情報

所在地
〒270-0132
千葉県流山市駒木655番地

TEL
04-7154-7377

FAX
04-7154-7378

東武鉄道
豊四季駅下車300m

神社情報


ホーム


神社紹介

行事・祈願

八幡太郎伝説

境内案内

諏訪神社兼務社

結婚式について

文化財紹介

リンク集

アクセス・お問合せ

ページ上部へ